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毒親育ちの日々毒抜きブログ

やり場のない怒りと悲しみの原因は「毒」だった。負の連鎖を止めるべく、毒抜きはじめます。

難しい、難しい

 

「これは本当にフィクションなのか」の続きです)


そして、「愛を乞うひと」最後のクライマックスシーン

虐待を受けて育った照恵が豊子と再会した時、照恵がどういう反応をするのかと興味津々で見てました。

そしたら・・・

照恵が過去を手放した!

深草はすくすくと普通に育っているのに、やっぱり心のどこかで自分は豊子の血が流れているという気持ちに囚われていた。その気持ちを、豊子に会うことでどのように治めるのかが見ものでしたが、うん、なんだか安心しました。

「手放す」というのも、ひとつの選択肢ですよね。勇気と時間がいりますけど。

照恵があの年になるまで過去を手放さなかったのは、手放せなかったのもあるし、手放してはいけないという気持ちもあったと思います。でも、深草に背中を押されて、ふっと前に進むことができた。

そういう選択肢もあっていいと思います!

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ひとつ気になったのは、豊子です。豊子も照恵と同じように、豊子の親に虐待された被虐待児であるはずなのに、照恵の人生とは違い、生涯孤独。毒親育ちが毒親のままだと、豊子のようになるのだなと思います。ここ、どうにか修正する方法はないのでしょうかね?

 

照恵は、虐待しないという強い意志を持つことができた。ゆえに、孤独じゃない。
豊子は、虐待しないという選択肢を持つことができなかった。だから、孤独になった。(照恵に手放された)

これって、一体どこにどういう違いがあってこのような違いが出るのでしょうか?なぜ、豊子は「虐待しない」という選択肢を持つことができなかったのでしょうか?


その人の性格?すごく気になります。

世の中に虐待の連鎖が続かないようにするためには、照恵のようにどこかで食い止める力が必要であることもそうですが、同時に豊子のように虐待の連鎖を食い止められないタイプの人が孤独を感じないようにすることも大切だと思うのです。色々なところで面倒なことになるし。結局子供を虐待することになるし。

でもこれって、犯罪を繰り返してしまう人に犯罪しないようにするにはどうしたら良いのかなと言っていることと変わらないのでしょうか。だとしたらとても悲しい。


しかし、豊子。。カフェしてるのに、お客さんが来店してもため息つきながらタバコ吸って、「コーヒーしかないよ」と言い放つってw ちょっと笑いました。

 

愛を乞うひと」に出てくる様々なことがらは、虐待のかけらもない環境で育った人には衝撃的理解しがたいことかも知れません。しかし、このような家庭も普通に存在するのだということを多くの人に知ってもらえるきっかけにはなりますよね。意味のあるドラマだと思います。

主演を演じた篠原涼子も、どこかのインタビューで「冷静な気持ちでみてほしい」という風に言っていました。また、「豊子は娘への愛はあったけれど、愛し方を知らなかったのでは」とも発言しています。豊子のやり場のない怒りや悲しみを感じているような、深い言葉だと感じました。こうして虐待の連鎖の恐ろしさ解決の難しさを多くの人に知ってもらうことで、豊子や照恵のような存在も楽に暮らせる環境ができてくるのではと信じたいです。

 

愛を乞うひと」は、下田治美の小説がもとになっているようです。原作、読んでみようかと思います。

(このリンク先にはいくつかのカスタマーレビューがあります。虐待というものを知っている人もいる一方で、虐待による様々な歪みというものが全く分からないんだなぁという人のレビューも沢山あります。知らない世界を伝えるって難しいですね。。)

愛を乞うひと (角川文庫)

 

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