毒親育ちの日々毒抜きブログ

やり場のない怒りと悲しみの原因は「毒」だった。負の連鎖を止めるべく、毒抜きはじめます。

子が毒親に思い描く「絶望」と「希望」


毒親のもとで暮らすことを余儀なくされている子達は、自分の意志でそこにいるわけではなく、そこにいなければならない理由がある場合もあります。

小学生や中高生が親から虐待を受けているようなニュースが出たりすると、「いつまでも家にいないで、外へ助けを求めれば良かったのではないか」という意見を目にすることがあります。もっともな話ではありますが、毒親下にいる子は、「その後にどうなるかが恐くて逃げられない」あるいは「逃げたくない」という気持ちがあったから逃げなかったのではないかな、と私は思います。

 

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絶望

私も、親から逃げられない子のひとりでした。


小学校高学年にもなってくると、さすがにこの家はおかしいということがはっきり理解できてきて、逃げたいと思うことが多くなっていきました。

殴る蹴るの虐待の末、外に放り出されることが多かったので、逃げようと思えばいつでも逃げられる環境でした。でも、逃げたとして、近所の誰かに見つかって、私の家がバレる。私が夜道をはだしで歩いていることに不信感を抱いて人は心配してくれはするけれど、どうせ母親は「そこにいろって言ったのに勝手に出ていってしまったんです~」とか言って私のせいにするに違いない。そして、家に連れ戻されて、今まで以上の仕打ちを受けるに違いない。本当にこう思っていました。

これは、大学に入学してからでさえ考えていました。アルバイトをしながら食いつないで、どこかで生活することはできても、母親がどこまでも追いかけてくるに違いない。もしかしたら、逃げる私に絶望して混乱して、母親がその場で死んでしまう可能性も十分に考えられる。

だから、縁を切れなかったのです。


希望

一方で、こんなことも思っていました。


虐待を受けている時間は、24時間ではない。一緒に旅行に行ったり、レストランに行ったり、テレビをみたりする中で、みんなで笑うタイミングも確かにある。家を出たら、そんな少しの楽しい時間もなくなっちゃうかも知れない。お母さんが泣き崩れるかも知れない。お母さんが悪者になって、みんなに責められて死んじゃうかも知れない。それはかわいそうだな。

大学に行ってからは、これからはもう過去のことをつべこべ言うのはやめよう。前を向いて、これからの生活を助け合いながら生きなきゃならない。妹もいるし、弟もいる。これからは、母親が頑張ってきた分、私も頑張らなきゃ。母親を助ければ、少しはお互いに歩み寄れるのではないかなと思う。と。

 

愛と絆

恐怖を感じる傍らで、子供は親からのを常に求めているのだと感じます。
親子という強い強いがあるからこそ成り立つものですね。

 

子の親への愛は、大きくなってからも同じだと思います。
私も、ついこの間まで母親の理解をずーーーっと求めていることに気づきました。

 

でも、親からの正しい愛が得られないなら、親へ愛を求める気持ちを手放してもいいのだということも学びました。

 

親子の絆。
夫との結婚や2011年にあった大震災などをきっかけにより強く考えるようになりました。

親が子の幸せを少しでも望んでくれているなら、私は親との関係を絶って幸せになることを選びます。

 

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