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毒親育ちの日々毒抜きブログ

やり場のない怒りと悲しみの原因は「毒」だった。負の連鎖を止めるべく、毒抜きはじめます。

暴力をふるわないだけが愛じゃない


母親のことばかりを書いたので、そろそろ父親にもフォーカスしようと思います。

 

家族の自己紹介でも説明したように、父親はぱっと見は優しくて明るいという言葉が似合う人でした。けれど、新しいことに挑もうとするような性質はなく、与えられた環境の中で楽しく過ごすタイプの人でした。

 

過去の辛い経験から脱するために子供の教育に力を入れたい母親にとって、父親のその変な安定感はただの惰性にしか見えなかったのでしょうね。。特に何もなくても、母親に年中チクチク言われていました。「子供にきちんとした教育してやりたいとは思わないの!?」「あんたは一体何考えてんの!」「それでも父親か!」などなど、母親が父親に放った暴言流量はもはや滝のようです。

 

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母親がこうしてキレるには助走段階があります。ご飯を食べている時や車で移動している時に、まずは「で、小学校はどこに通わせようか?」「塾はどこに行かせるのがいいと思う?」「習い事はどうしよう?」と切り出し、「それは必要ないんじゃないの」と反論すれば、「なんで?」「どうしてそう思うの?」「そんなわけなくない?」」「じゃ他には?」などと質問攻め

 

とにかく教育のことに関して父親は、母親が満足するような回答をすることはなく、しまいには母親がキレて終わり。話にならないので、母親は暴言を吐くだけ吐いてふて寝。チャンチャン。(ふて寝した時は私は秘かにガッツポーズです。殴られないので。)

 

そんなやりとりを繰り返すうち、父親も話を切り出されるとイヤな顔をするようになっていきます。母親が話を切り出す度に「チッ」という顔をして。

 

 

・・・この状態って、父親と母親、どちらが悪いのでしょうか?

 

私は、どちらも悪いところがあると思います。母親は、父親に相談しているつもりでも、結局自分の考えを押し通すことしか考えていない。父親は、母親が教育のことについて真剣に考えたいのに、その気持ちを理解してあげようとしていない。どっちもどっちです。

 

父親も、夫や父親としての責任感が感じられません。話にならなくても、生涯連れ添うと決めた相手なら、歩み寄る努力を永遠に続けることが大切だと思います。例え話にならなくても・・・


父親には、母に対してきちんとした態度をとってほしかったと思います。そうすれば、母が怒りにまかせて虐待する機会も減っただろうに。もし減らなかったとしても、私が父親に抱く信頼感は失われることはなかったのではと思います。残念です。

 

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